カテゴリー別:日記

医者という仕事その12 「医学」と「医療」

医師としての道。

それはもちろんまず医学生の間、大量の教科書とにらめっこしながら膨大な知識を頭に叩き込み、そして医師国家試験をクリアして晴れて新米医師としての第一歩を踏み出すことから始まります。

必要かつ十分な情報が与えられ、4~5個の選択肢の中から絶対唯一の答えを選べばよかった「医学」から、様々な社会的背景を背負った生身の患者さんに向き合う「医療」への昇華が必要となり、どれだけ優秀な新人医師でも必ずたくさんの壁にぶち当たることになります。

 

医学的には早目に入院して手術が望ましいけれど、家には患者さんに頼り切った要介護の高齢の親御さんがいる。

輸血した方がより安全に救命できそうだが、宗教的な理由から可能な限り避けたいと希望されている。

手術は生命を危険に晒す可能性もあるが、本人はリスクを承知の上で強く全回復を目指して最大限の治療を求め、その後の人生への期待を訴えている。

医療体制の整った都会であればもう数日家で様子を見れそうだが、この離島には週に1回しか本土に行く船が来ない。

 

このような人間ひとりひとりの事情、価値観、家族背景、さらには病院や医院の能力を踏まえて実践するのが「医療」であるのです。

無数のデータから出た信頼できる一つの結論と言えるガイドライン(医学の結晶)から外れた「医療」が時に施されるのはそれらのファクターを考慮して医師が最終決定を下しているからだと言えるでしょう。

医師にはその裁量と重大な責任が任されているわけです。

 

逆に、医師個人の経験から独特の「医療」に走りすぎないこともとても重要です。

数十年前までは、ひとたび開業すると日々進歩していく「医学」から離れ、自分流の「医療」に突き進んでしまう医院がたくさんありました(時に、一部の医師は俗に言うトンデモ医療へと進化を遂げる場合も)。

今の時代はインターネットを通じて、最先端の情報、論文にアクセスすることができ、コロナ禍以降はオンラインで学会や研究会にも出席が可能となりました。

コロナを一例も治療してない私も、コロナに関して相当正確な知識を有していると思います(この後莫大な数の患児の診察を行っています)。

適切な「医療」を実践するための正しい「医学」を身に着けるためには、結局は医師になってからどれだけ勉強をして研鑽を積めるかというところにあるのです。

 

医師を志す子供たちへ。

医師の仕事は人の人生に触れるということ。先人達が残してくれた知識を吸収し、同世代の医師達の苦労の結実である最新の知識を取り入れ、その上で病ではなく人間に相対して医療を施すということ。それはとても尊く、とても医師である自分一人の人生で完結できるものではない。次の世代、またその次の世代がもっと幸せに暮らせるように、その進歩のバトンをつなぎ続けるという仕事。目指してほしい。このとてつもなく大変で、魅力的な世界を。

子育てその37 愛すべきバカ息子達の華麗なる軌跡

意地でもさざえ持ち帰るマンな次男(小1時)。

IMG_0137IMG_0138

 

ただただ、下ネタを連呼したいだけの豆まき作文。鬼役のバスの運転手のおっちゃんまじ不憫。次男(年長時)。親の顔が見てみたい。

IMG_0136

長男(小2時)が休み時間2週間分を投入した大作漫画。てきの妙な歯茎と足の長さに腹筋崩壊必至。

IMG_0142 IMG_0141 IMG_0143 IMG_0145 IMG_0144

 

長男(小1時)の日記。何だか独特の口調でね、お届けしたみたいなんですよ。

IMG_0140 IMG_0139

 

次男(小1時)の作品。まあ小1ならこんなもんかと思って裏の名前確認したら長男(小5時)の作品であることが判明し、びっくりしすぎて変な声出た。小5でこれは右脳が壊死していると思われる。

IMG_0281

 

 

長男(小6)の浜学園のノート。リトライってことは戦場において、すでに一度やられてるやろ。

B6F6D652-9C5D-4B8D-8099-59752655D8D8

 

長男(小6)の風鈴。彼女がそんなに激しいタラコ唇やったとは知らなんだ。

b

 

 

パソコンを駆使して長男(小5時)がくれた誕生日プレゼント。なかなかセンスある。送り主の自分に天才を付け忘れないところも細かい。

IMG_0146

 

子育て29 謀反

今朝、次男のノート見て指導しておりましてね。
「数字もっと揃えて書かないと。綺麗に整えて。」
ほんとにふとした出来心で、「パパの顔みたいにな。」ってめっちゃ小さい声でポソって言ってしもたんです。
横にいた長男から、「いやー、パパの顔はほぼ応仁の乱っしょ。」というよく分からないけど殺傷能力の高い言葉の暴力を受けまして。
長男を「絶対処すリスト」に載せました。

マスクの副作用

前回、何かをすることには必ずメリットだけでなくデメリット、すなわち副作用を伴うこと、そして感染対策も例外ではないことをお話ししました。
今回は世界中の人達が一斉にマスクを着用するようになりはっきりしてきたマスクによる副作用について記します。

まずいつもお伝えしているように、一般の方が通常の機能のマスクをするメリットは、少しの守備力アップと大幅な攻撃力のダウンです。
理論的には全く無症状で健康な人が常時マスクをすることには大きな意味はないかもしれませんが、軽い症状を意識していないだけかもという観点からつけられる人が全員つけておくというのはそれほど悪い作戦ではありません。
一方で副作用として、熱中症や窒息のリスクがあり、実際に報告が増えてきました。
人間は呼気から常時結構な量の余計な熱を外に排出しているのですが、マスクでそれが邪魔され熱がこもってしまうのです。
元々マスクを使う文化のある日本でも今まで冬のインフルエンザシーズンや春の花粉症シーズンの着用が主で、真夏に屋外でつけることはほとんどなかったためそれほど意識されていなかった副作用と言えます。
また、運動時の着用や、年少児では咳き込んでの嘔吐物などにより窒息や死亡例が報告されています。
これを受け、少なくとも2歳未満の児はつけるべきでないという強い勧告が各学会からも通達されました。
医学的な観点からだけでなく、集団生活の中でも4〜5歳前後くらいまでは現実問題としてしっかりつけるのは難しそうと多くの保母さんや園の先生方、保護者の方は実感しておられると思います。
園や学校がほぼ完全再開して3週間、小学校以上の児は免疫が高いこともありますが、手洗いやマスク着用、給食時の対策が大きく効果を発揮してほとんど熱の子は受診していません。
未就学児に関しては、三密でもあり、マスク着用も年長さんくらいしか難しくやはり様々な感染症の子の受診が増え始めています。
ゼロリスクを追い求めるのは不可能ですから、これらの世代の子は熱が出たり、咳や下痢がひどい間はしっかり休むという今までと同様(あるいは若干厳しめに)の方針でやっていくしかないようです。

今後の院内での感染対策について

大阪も緊急事態宣言解除からこの週末で1か月を迎えることになります。
コロナとの闘いは長丁場で、これからまだ年単位で続いていくでしょうからまだまだ油断は禁物ですが、日本のみんなが一丸となって対策をした結果として今のところとてもうまくいっていると思います。
「Stay Home」によって、コロナだけでなくあらゆる感染症がいったん激減し、当院を含めて医療崩壊をきたすことなく色々な対策をする時間を数か月かせぐことができました。
今後の見通しとして、経済と教育を回していくに伴い、コロナとその他の感染症がまた次第に増えていくことになります。
コロナはどうも撲滅に向かう感染症でなさそうですので、これは避けられないことです。
コロナがいない平和な世界というのは非現実的で、「コロナの患者さんは毎日そこそこ発生しているけれど、経済はそこそこ回っており、教育もそれなりに機能しており、医療が何とか回っている状態」という「With Corona」が目標になります。

さて、新型コロナという未知の敵が現れてすぐの情報が乏しい時期には、欧米での惨事を目の当たりにしながら大げさに、少し過剰なくらい対策するのは非常に適切な選択でした。
日本全体レベルで言えば、外出自粛、学校の停止、仕事であっても県外への移動の抑制などがそれに当たります。
当院レベルで言えば、体調不良の児は全てコロナ疑いとして車の中やテントで診察をしていたというのがそれに当たります。
しかし感染対策もやればやるほどいいという訳ではなく、必ず副作用を伴います。
それは日本全体レベルで言えば経済の大停滞や教育の大幅な遅れであり、当院レベルで言えば、テント内の診療に伴う熱中症のリスクであったり、設備のための費用であったり、診察のための手間の増大であったりします。
だんだん時間がたつにつれて、おそらくたくさんの要因が積み重なって日本での被害は欧米諸国よりずいぶん小さく(今のところというだけかもしれませんが)済んでいることが明らかになってきました。
これからはリスクに応じて、慎重に色々な規制を緩めていく必要があります。

当院でもテントは一定の役割を果たしたと考え、今後は院内での診療にシフトしていきます。
少しでも鼻水や咳があれば隔離対応をしていましたが、マスクをしっかりできる年齢層ではそこまでの対応も不要と考えられますので、⓵熱のある児、ぐったりしている児、⓶咳がひどい児、⓷ひどくない咳ではあるがマスクが不十分な未就学児、⓸その他、嘔吐など周囲への影響がありうると考えられる児を隔離対象とします。★(その後、小児では大多数のコロナが軽い症状で終わることが明らかになってきたこと、クリニックの隔離室運営の能力が充実したことから、軽くても咳や鼻水、嘔吐や下痢があればトリアージの上で一旦は隔離室対応としています。ご了承下さい。)

さらにフードコートでよく活躍しているような呼び出しベルも手に入りましたので、車でお越しの方はそこを安全な個室の待合室としてお待ち頂き、とにかく院内にいる時間を減らすことも可能になりました。
ベルは毎回新品の袋に入れてお渡ししていますので、多数の人が触ったものを持つ心配も不要です。
また、ある程度消毒液が届く状態になってから行っているエントランスでの患者さん全員の手指消毒も今後もずっと継続していきますのでご協力をお願いいたします。

コロナの時代に大事なのは一貫した方針とか決意ではなく、激動する変化に柔軟に対応していく臨機応変さで、医療機関は最もそれを求められる施設と考え対策を続けていきます。

どうでもいいことその25 コロナ自粛に関する緊急アンケート調査

自粛中、退屈している子供らのために家でタコ焼きを作った者は正直に手を挙げなさい。

おめでとうございます。関西人試験に見事合格です!!

おそらく大阪(関西)限定の現象と思われますが、今日スーパー行ったらタコ焼き粉売り切れとりました。

みんな同じこと考えてまんねんなー。

電話をする前に

その場所まで行かず、対面せず意思疎通が可能な電話の便利さはわざわざ説明をする必要はありませんが、電話の持つマイナス面というのもこのコロナ騒動の際にもう一度みんなで考え直す機会にしたいと思います。

クリニックはむしろ騒ぎの前より空いているところが大半ですが、市民病院クラスは感染対策のために余剰の労力を取られ、疲弊しています。

しかし、大きい病院よりも先に全国の保健所の方が限界を迎えそうな様相です。

もちろん重要なたくさんの電話相談の対応を全力で行って頂いているわけですが、それ以外にたくさんの不要不急の電話に手を取られているのが現状のようです。

「昨日は何人コロナが出ましたか?」「さっきからの熱ですが、どうしたらよいですか?」「もっと検査をするようにしっかりやれ!」など、そのたびに職員の方の時間と精神が削られていっています。

まず私自身も今後気をつけようと思うことですが、お店や役所に気軽に電話しすぎていることがあるのでは?(「とりあえず電話」と命名)

今は手元に便利な情報ツール、スマホがあります。

何時まで役所がやっているか、駐車場はどこかなど、ほとんどの情報はHPに載っていますし、Q&Aなども用意してくれていることが多いでしょう。

どれくらいの患者さんがいつ陽性判定を受けたかなども保健所HPに詳しく記載されていますが、「とりあえず電話」をかけると、職員の方は作業を中断してその対応をすることになるでしょう。

これから患者数の増加に従って、検査数も増やしていかなくてはなりませんが、いかに保健所の不要な業務を減らすか、「とりあえず電話」をかける前に一度立ち止まって考えてみましょう。

コロナのことはもちろん心配ですが、体調がいい時から、「こういう状態になったら保健所に電話をした方がいいのだな。」と調べておいて、いざという時に備えておきたいものです。

クリニックに関しても、電話は診察の最中に何の前触れもなく入ってきますので、そのたびに皆の業務を中止し、場合によってはカルテを開け、確認をしてなど相当な時間を取ります。

その間、病院に来る労力を払って受診している患者さんは割込みを受け、待たされてもいます。

「病院に行くと感染が怖いから」とか「スタッフの方や先生がお忙しそうで、受診したらお手数をかけてしまいそうで、、、」と恐縮しきりにかけてきて下さることが多いですが、本音を言うと電話の方が受診して頂くよりこちらの労力と時間を取られています。

また、電話ではやはり実際診るのとは違い情報量が少なく、なかなか正確なことは言えません。

しかしお答えするとある程度責任はどうしても生じるので当院では原則、受診した方がいいかや病気や薬の一般論などの質問(解熱剤を使ってよいか)などには電話ではお答えしておりません。

元気なうちにブログを見たり、学会や政府など公的なサイトを確認して、備えておいて頂くことが重要と思います。

それでもどうしても困った時はお電話をください。スタッフと私がお助けします!

感染症、医療崩壊についての一般的知識

私が以前勤務していた大阪市立総合医療センター小児感染症科は、成人の感染症科と連携しコロナの最前線で攻防を繰り広げています。

現在私はクリニックで地域を守る役割についているため、直接コロナ患者を治療する立場にはありませんから、コロナそのものについての情報(治療の実際や予後、ワクチンや治療薬の見通しなど)に関しての発信はするべきではありません(するのに必要な経験症例がそもそもありません)。

そのためむやみに憶測をブログに書いて混乱を招かないよう、内容に関して慎重に考慮を重ねていました。

しかしこの1、2週間で日本も深刻な段階に入り、皆さんに新興感染症と医療崩壊の一般的な知識について取り急ぎ伝えるべきだと思いここに記します。

 

①まず感染症との戦いのイメージについて

今までに医学が戦ったことのない新たな感染症が広がりをみせた時、その実態が掴めるまで中々深刻度は伝わりにくいものです。

正しい戦略というものもどんな専門家も誰も知りません。

選択がどうだったかは結果論で判断するしかないため、私を含めて全ての医療者はその瞬間にもっとも正しいと思われる行動を取り、歴史や後の科学的検証の批判を甘んじて受ける覚悟を持ってこれからの戦いに臨みます。

まず一般の方が肝に命じておかなければならないことは、感染症との戦いは自動的に全員強制参加の集団戦であるということです。

2人3脚という言葉がありますが、言うなれば「1億2000万人1億2000万1脚」。

誰かがつまずくと近い人ほど一緒に引きずり込まれますが、その影響はそこから波及的に遠くの人にも伝わっていくのです。

目指す理想は誰一人倒れて命を落とすことなく歩きゴールまでたどり着くことですが、手強いコースが待ち受けている場合には途中でメンバーを失い、そしてその空いた分の隙間をつめて新たに足を結び直しまたひとつながりで歩き続けることになります。

1億2000万人の中には歩くのに周りの支えが必要な人、あるいは完全に抱えてもらわなければならない人もたくさんいます。

そのような助けを必要とする人の周囲の人は自分が歩くだけではなく、その人を介助しながら進んでいなくてはならず大変な労力を要します。

元気な人達が自分勝手にどんどんと進んでいくと、そのような人達の付近の人達は必死に声を荒げて「やめてください!足並みを揃えて下さい!」と悲痛な叫びをあげます。

元気でもっと自分は早く走れると息巻いてる若者達も知らなければなりません。

ひとつながりの中に自分の大事な人達がいることを。

感染症との戦いに自分や家族や恋人や友達がみな同じひとつながりで強制参加させられていることを。

②感染症の対策を0か100かで考えない

以前にもお話しましたが、感染症との戦いはいかに「少しでも可能性を下げる」かの勝負です。

コロナの場合でも、外に出る回数を1回でも減らす、人と会話する時の距離を10cmでも長く取る、10分でも長くマスクをするなどを少しずつ積み上げることで確率を減らすことができるのです。

ここが理解できていない人は、「インフルエンザはワクチンをうったら無敵。」とか、「満員電車で通勤しているから、どうせその他の努力は無意味なので好き放題外出する。」などという勘違いを起こします。

自分が入院した時に、「コロナは感染力が強く、手洗いやアルコール消毒をしても院内感染を起こすことがゼロではありません。どうせ完全には防げないので私は手洗いはしない主義です。」と笑顔で話す医者や看護士に治療を受けたいと思いますか?

自分や家族に飛んでくるウイルスを国や政治家や医者がハエたたきでたたき落としてはくれません。

国や政治家は医療や経済の大きなバランスをみながら舵を取るのが役割です。

医者は治療の必要な患者さんの対応をするのが役割です。

ウイルスから自分や家族を守れるのは自分自身の継続的な努力のみです。

③医療崩壊とは

例えば600床の病院にコロナ患者さんが2人入院していると聞いてどう感じますか?

それほど危機的状況ではないようには思いませんでしたか?

強い感染症の患者さんが1人いるだけで、実は膨大な時間、人手、医療資源が使われます。

普通一人のスタッフは複数の患者さんを同時に受け持ち、慌ただしく動き回っています。

しかし、特殊な感染症の部屋に入る担当のスタッフ達は通常その部屋だけを担当し(これはマンパワーに余裕がある時の話で、枯渇すれば必ずしもそうではありませんが)、また出入りの度に手洗い、消毒、手袋の入れ替え、資源に余裕がある場合はガウンも着替えます。

これは相当時間と手間を取る作業です。

医療に携わる者は、これらをどれだけきっちりやっても先ほどお話しした100にはならないことを知っているので、自分がうつらないか、うつったら致命的になる他の重症の別の病気の患者さんにうつしてしまわないか大変なストレスに晒され続けています。

感染症の患者さんが入っていると知った近くの病室の患者さんや御家族から、他の部屋に移りたい、感染したらどう責任を取るのかなどの要望や質問をもらうこともあります(でもこれはとても自然な感情でしょうし、本当によく分かります)。

ひとたび医療者に感染があると、接触した可能性のある患者さんの検査などはもちろんのこと、結果が出るまでの間、誰が感染者で誰が非感染者か分からない暗闇の中、部屋や隔離をどうするかに頭を悩ませることになります。

そのような空間的余裕はどの病院にもないのです。

また、感染した医療者と接触した同僚達も自宅待機が必要な事態になると下手をすると数十人が一気に病院の戦力から消えることになるのです。

ニュースを聞いていると、皆さんの中にはひょっとすると病院や医療者は今、「コロナと戦っている」印象を持っている方もいるかもしれません。

そうではないのです。

喘息発作の患者さん、がん患者さん、脳出血やお産の出血、虫垂炎で緊急に手術が必要な患者さん。

思い出して下さい。

コロナが来る前からすでに日本の病院のほとんどはすでに限界が近かったのです。

これらの医療をしながら、今、さらにコロナが上乗せできているのです。

医療崩壊とは、「コロナの患者さんで病院が埋め尽くされた状態」よりもっと手前に起こる、「コロナの患者さんの対応が増えてきたせいで、心筋梗塞や交通事故や、がん治療に手が回らなくなる状態」で、これはもう本当に近いところまで迫ってきてしまっています。

コロナのニュースを見て、感染者数や死亡者数が日本の人口や大都市の人口と比べてそれほどすごい割合ではないじゃんと考えていた方はすぐに考えを改めて下さい。

あの人数は、すでに限界の近かった元々の日本の医療に上乗せできた、膨大なエネルギーを吸い取るウイルスの人数なのです。

「オーバーシュート(患者数爆発)が起こるはるか前に医療崩壊が起こる。」とはそういう意味です。

 

今後、情報が増えればまたコロナウイルスについての具体的な医学的知見も追加していきますが、とり急ぎ、包括的な内容に留めました。

医者という仕事その11 治療方針で難しい選択を迫られた時

昭和の時代の医療では、医師が一番最適と思う治療方針をそのまま患者さんに施すのが基本でした。

患者さんにはそれほど選択肢は多く与えられず、医師が「この薬を使います。」とか、「手術をやりましょう。」と言えば、患者さんは「お願いします。」とか「先生にお任せします。」と答えるのが常識でした。

深刻な病気の場合には本人に病名を伝えないまま治療をするということも日常的に行われていました。

平成になり、だんだんとこのように医師主導で治療が選択されるのではなく、患者さんが主体的に治療方針を選択するべきだという流れが加速してきました。

「Aという薬を使えば、60%の患者さんよくなります。大きな副作用はないことが多いです。Bという薬を使えば90%の患者さんがよくなりますが、5%にこんな心配な副作用が出ると報告されています。どちらを選びますか?」

医学的知識のない患者さんに分かりやすく選択肢を説明し、提示することが当たり前になったのはとてもよいことだと思います。

それぞれの家庭環境や価値観により、同じ病気でも選択される治療は様々ですが、今の時代では自分が一体何の病気で何の薬を使っているのか全く分からないまま入院生活を送っているということはまずありえない時代と言えるでしょう。

 

一方で、治療方針を自分の責任で決めるということは、以前に比べて患者さん自身に精神的負担をかけている部分も間違いなくあると思います。

昔はお医者さんにお任せするしかない、或いは、お任せしておけばよいという、ある種の気楽さもあったでしょう。

例えば上のAとBの薬の話を聞いて理解はできても、自分で選択しろと言われたらどうしようと途方にくれてしまう方もいるのではないでしょうか。

医師は実は以前同様もちろん自分の中ではベストと思う治療方針があることが多いですが、時代の流れからそれに強く誘導はせず、あくまで患者さんに決定してもらうというスタンスをとらざるを得なくなっています。

特に癌の治療や、手術をするかどうかなど、スケールの大きい治療になればなるほど、一定の割合発生する副作用や合併症の程度も大きくなるためこれらを担当する先生方は特にその傾向が強くなります。

このような時に自分の決断の背中をそっと押してくれる医師の一言を引き出すためにおススメのフレーズがあります。

「先生は一番いい治療はどれだと思っていらっしゃいますか?」と聞いても、「患者さんによって一番いい治療というのはケースバイケースですので、答えるのは難しいですね。」などと返答が返ってくる可能性が高いです。

ですので、例えば女性の患者さんが先生の親くらいである場合は、「参考までに、もし先生のお母さんが全く同じ病状だったら、先生はどうされるか教えてください。」と聞きましょう。

我々医師は様々な病気や薬のたくさんのデータを持っていますが、それはあくまで目の前にいる今から治療をする患者さんにではない違う人達に起こったデータです。

きっと近い反応や経過を辿る可能性が高いだろうという予測から治療が施されるわけですが、実際には地球が誕生して以来、その患者さんにその治療を行ったことはないわけで、一億人に一人の特異体質かもしれませんし、大げさに言えば最終的な結果は神のみぞ知るとも言えます。

また、複雑なケースではそもそも我々医師ですら確信なく治療を行わないといけないことも多々あります。

結果が思わしくなかった時や、まれな合併症や副作用が出てしまった時に、患者さんが自分のした選択を後悔してしまうのはもちろん当然のことでしょう。

しかしそれを「でもこれで最善の選択肢だったはずだ。」といつか受け入れるようになるために、「自分の信頼しているお医者さんが自分の家族にする選択肢を選んだんだから。」という思いはきっと役に立つのではないでしょうか。

小児科ではどのように質問すればよいかはもうおわかりでしょう。

「先生の息子さんはうちの子と近い小学校5年生ですよね。万が一同じ状況になったら、どうされますか?」

逆に避けた方がいい質問の仕方は、「この薬さえ飲んだら必ず治りますか?」とか、「副作用の心配は100%ないですよね?」とか、「悪性では絶対ないですよね?」などです。

気持ちは痛いほど分かりますが100%や絶対という単語を使った聞き方をするタイプの患者さんに対しては、医師は後に不当に責任を取らされるのを避けるために、きっちり患者さんに自分で判断して方針を選んでもらわなけれならないと感じてしまいます。

そうなるともう医師自身の個人的なベストな考えは聞くことはできず、客観的な事実と数字の羅列から患者さん自身の責任で方針を選択することを余儀なくされてしまうのです。

 

さて、クリニックだけでは全ての医療は完結できませんから、入院や手術のために大きな病院に紹介状を持って場所を移さなければならないことがあります。

その際、慣れ親しんだホームグラウンドのクマの病院から、ドキドキのアウェイに向かう不安な気持ちになるのは想像に難くありません。

私はお母さん、お父さんが緊張してなかなかうまくあちらの先生に伝えられなくても困らないように、強力なお守りを授けるような気持ちで詳しく紹介状を記載するように心がけています。

そしてアウェイで、難しい治療方針の選択を迫られた時は、ぜひこのフレーズを思い出していただけるとよいなと思います。