どうでもいいことその18 検証

毎日何の気なしにしている行動を振り返り、検証してみる。

科学や医学の発展というのはかくの如く地道な作業の積み重ねである。

 

ぬぎぬぎ。

がちゃっ。

ばしゃばしゃ。

どぷーん。

ちゃぷちゃぷ。

ふぅー。

 

がちゃっ。

ふきふき。

上から取って、と。

はきはき。

 

うむ。間違いない。

うすうす気づいてたけど。

いつも上からばっかり取ってるから、2枚のパンツを交互にヘビーローテーションし続けているようだ。

りんご病(伝染性紅斑)

この1年ほどは数年ぶりの大流行となりました。

書こう書こうと思いながら、書きそびれていましたが、本日長男(7歳)がきれいに発症いたしましたので我が家の子育て日記の1ページの意味も含めてここに記します。

風邪と同じくウイルスの感染症としてうつる病気ですが、小児の症状で特徴的なのは両頬・両手・両足の赤み程度です。

お腹や背中にも出ることもあります。

赤みはレース状とか、平手打ち様(ぱちーんと叩いた後のような発赤)と呼ばれ、痒みを訴えることがよくあります。

子どもでは発熱やしんどさはなく、赤みと痒み以外は元気一杯です。

両頬の赤みがまるでりんごのように見えるので、俗に「りんご病」と言われます。

痒み止め以外の治療は不要で、数日で自然によくなります。

実は症状がはっきりした時にはもう完全に感染力がゼロになっていますので、登園や登校の妨げになることは全くありません。

むしろ発症の1週間ほど前に最も感染力が強くなりますが、本人からすれば全く自覚症状がないまま人にふりまいているということになります(ある意味仕方のないことです)。

潜伏期間は2週間程度ですので、兄弟などでは差し引き結局1週間程度で症状がうつっていくように見えます(お兄ちゃんの顔が赤くなった後、1週間前後で下の子の顔が赤くなる)。

このように子どもにとっては医学的な心配は皆無といっていいお気楽なウイルス感染症ですが、免疫のない大人が感染すると高熱や、長引く関節痛を伴うことがあります。

女性の方の場合、関節痛や指のむくみの症状のせいでリウマチかもと整形外科を受診することもあると聞きます。

一番やっかいなのは免疫のない妊婦さんが感染した場合です。

胎児水腫と言って、お腹の中の赤ちゃんに全身のむくみや心不全症状を起こすことがあります。

妊娠の初期が特に要注意です。

家族内にりんご病を発症した子どもがいる場合、学校や幼稚園・保育園など小児の集団生活には制限は不要ですが、病院のお見舞いや、公共のプール・入浴施設などはマナー的にもビジュアル的にもトラブルの種になるかもしれませんので避ける方がよいでしょう。

また、発症してない兄弟が一番感染力が強い可能性が高い訳ですから2週間ほどは妊婦さんとの接触は控えてください。

 

なお比較的強い痒みが出てもだえている我が子に、今日は妻も同情の目を向けて色々お世話をしていました(もう小学生だろお前)。

そんな最中に長男がなかなかの強烈なおならをしたあげく、「りんご病のせいやから。」と意味不明な供述をしたせいで、とうとう妻はキッチンへと去っていきました。

家族・実家のことその17 追憶③ ~阪神淡路大震災 伝えたいこと~

自分語りのようになってしまったけれど、私が伝えたいこと。

神様を信じる事は、自信や心の救いを与えてくれるかもしれない。

でも最後の最後、本当に人を救えるのは人であると私は思う。

震災直後にがれきに埋もれ、身動きの取れないまま火の手が迫る中、閉じ込められた命を外に引きずり出したのは近所の人たちのその両手であったということ。

自分たちも被災し、中には家族を失った中で活動して下さった消防隊や自衛隊、医療者などの方々が、たくさんの命を救い物資を届け、被災者を勇気づけたということ。

大自然には勝てないけれど、でも人間は負けないということ。

そしてもうひとつ、人は死ぬということ。

 

中学生になり布団で寝るようになった私が、小さい頃に使っていて屋根裏部屋に解体して置いてあったベッドをふと気まぐれに組み立てて寝るようになったのは震災のほんのしばらく前だったと記憶している。

私はあの大震災をほんの偶然の差から生き残り、そして小児科医として、これからの命を救う使命を負った。

家族・実家のことその16 追憶② ~阪神淡路大震災1月18日~

一夜明けても町は一向に動き出す様子を見せませんでした。

当然電気とともに水道も止まっており、トイレも流すことができない状態が続いていました。

コンビニや店にある食べ物が善意で配られ、寒さに震えながらみなが憔悴しきった様子でなんとか喉に詰め込んでいるような状態だったと思います。

とてつもない天変地異が起きたことを認めざるを得ない24時間を過ごし、長兄と母は相談して、大阪府吹田市に住む母の妹の家を目指す決断を下しました。

阪急岡本駅にほど近い我が家から線路に沿って東へ大阪を目指す。

日本全体が同様に壊滅しているかも。

いとこのところも同じ状況かも。

きっと4人とも同じことを考えていたけれど、口にするとそれが現実になってしまいそうで、黙々と歩き続けました。

だんだん日が暮れて電灯の光もない真っ暗な道を歩きました。

崩壊した家々のがれきのせいで迂回もしながら。

3駅歩いて、西宮駅が近づいて来ると、徐々に明かりがともり始めました。

そこから東は電車が動いていて、スーツ姿のサラリーマンもいたり、まるで今までの日常のような様子にびっくりしました。

吹田のいとこ宅に夜に到着してから、母とおばはひとしきり泣いて再会を喜んだあと温かいご飯や、お風呂を頂き、泥のように眠りました。

 

家族・実家のことその15 追憶① ~阪神淡路大震災1月17日~

私は中学校2年生の冬に、最も震度の強かった地域の一つである神戸市東灘区の実家で被災しました。

2階の自分の部屋で就寝中にドーンと下から突き上げられたような衝撃があり、その後強く揺さぶられて目を覚ましました。

何が起こったか分からず、茫然としていると、隣の部屋にいる長兄からの「大丈夫か?」という問いかけがあり、とりあえず、「うん。」と応えたのを今でも覚えています。

停電のため暗闇の中でしたが、室内がめちゃくちゃになっているのが何となく分かりました。

足の裏に気をつけて、部屋を出て長兄と合流し、1階にそろそろと降りると、こたつでそのままうたたねしてしまっていた母と次兄も起き出してきていました(父は静岡に単身赴任中)。

この時、揺れからまだ10分前後だったでしょうか、このタイミングではおそらく阪神地域の誰も何が起こったのかは分からない状況で、外はやけに静かだったように思います(地域にもよるかも)。

その後、外に出てだんだん明るくなってから見た光景は、空襲を受けたかのような変わり果てた町でした。

電信柱が折れ、アスファルトの地面にはいくつもの亀裂が走り、また多くの家屋が倒壊していました。

この震災の特徴であった、1階部分が押しつぶされているというアパートやマンションもたくさんありました。

助けを求める声が何か所かからあり、無事だった大人が手分けして救助を試み始めました。

我が家は有難いことに倒壊を免れましたが、明るくなってからみた家の中はひどい有様でした。

壁際に置いたピアノは部屋の中央まで移動し、テレビ(当時はまだ結構重量もある大きいものでした)は窓をつきやぶって庭に転がっていました。

布団ではなく柵のあるベッドで寝ていたため、私の頭を押しつぶしていただろう重量のある棚が数10㎝ほど上で止まっていました。

長兄の布団の足元には直撃を避けるかのようになぜか斜めに倒れてくれている本棚がありました。

次兄と母の寝ていたこたつの天板の上には粉々に割れた大量の皿とともにのしかかった重厚な食器棚がありました。

あの日、たくさんの場所でこのような小さな偶然が生死を分けました。

 

何も情報のないままあっと言う間に1日が過ぎ、近くの小学校に避難しました。

小学校のすぐそばの家が火事になり煙がもうもうと立ち上がっているのに、いつまでたってもどこからも消防車のサイレンが聞こえてこないという異様な光景は、日本全体、いや地球全体が滅亡の危機に瀕しているのではないかという恐怖を感じさせました。

ろうそくの薄暗い明りの中、幾度とない余震に教室でぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝していたみながほとんど眠れない初日の夜を過ごしたと思います。

索引

熱・解熱剤

2013年2月(熱の意義、解熱剤の使い方)、2014年7月(熱の時のクーリング、冷却シート)

鼻水・かぜ

2012年11月(鼻水との戦い、かぜとは)、2014年10月(咳止めテープ、風邪で病院に行く理由)、2015年2月(クループ)、2015年6月(風邪のイメージ~台風になぞらえて)

インフルエンザ

2014年1月

嘔吐・下痢・ノロウイルス

2013年12月(イメージ、対策)、2014年11月(ノロ~登園の基準を中心に)、2015年10月(受診の目安)

予防接種

2012年12月(意義、スケジュール)、2014年5月(同時接種、タイミング)、2014年9月(インフルエンザワクチン)、2015年11月(より良く生きるためには)

救急の上手な受診の仕方、登園許可証

2014年12月(救急受診の目安)、2015年6月(登園・登校許可証)

免疫・アレルギー

2013年10月2013年11月(免疫とは、アレルギーとは)、2014年8月(アレルギー検査)

溶連菌

2013年1月

川崎病

2015年3月

子育てその30 どや顔

次男も10月に3歳になりまして、幼稚園の最年少クラスにデビューしました。

最近の得意技は、手でお口を抑えながらわざとらしい咳をすることです。

幼稚園で「咳をする時は口を手で抑えるのがえらいんだよ」と教えてもらったようで、「パパみて!」と、一生懸命うその咳をするのですが、ここはやはりほめ育てを、と「おててで抑えて、えらいねー」と一応賛辞を送ってみました。

みなさんの想像通り、それから何度も何度も「パパみて!」とやる訳です。

ひたすらひたすらやる訳です。

手で抑えながら空咳をして、ほめられるとどや顔でますますやる訳です。

この前の休日、本当の風邪をひいて食事中に咳込んでいた時には、案の定、手で抑えていない訳です。

テーブルにご飯粒が激しく放射状に飛び散っている訳です。

脳みその中で一体どういう風に情報が処理されているのか、摩訶不思議。

こうしてまた観察日記に1ページが刻まれることとなりました。

化血研ワクチンについて

大まかな流れからお話しします。

ワクチンは1種類につき大体二~数社の製薬会社が製造を行っています。

化血研もこの一つで、当クリニックでは違いますが、インフルエンザワクチンの製造も行っています。

当クリニックでは、日本脳炎B型肝炎が化血研のワクチンです。

ワクチンは各社で製造されますが、「厳格な基準に従った製法で、かつ国家検定をクリアした製品」だけが出荷され、各医療機関に供給されて接種されます。

完成品の国家検定は極めて細かく厳格なため、ほんの少しでも確認事項が発生すると、一旦その製薬会社からのワクチンの出荷自体が停止されます。

結果としてワクチンの供給が一時的にかなり低迷し、接種できない児が増える事態となるということもどうしてもしばしば起こっています(そのたび、他社が製造を増やして供給ができるだけ途切れないようにカバーし合っている)。

今回、9月ごろに化血研で手続き上の不備という触れ込みの出荷の一時停止が起こりました。

特に10月からは各医療機関でインフルエンザワクチンが大量に接種される時期であり、日本中の医療関係者がハラハラしながら様子を見ていましたが、その後、優先度の高いワクチンから順に国が再度安全性を調査し、確認し次第出荷が再開されました(当クリニックのインフルエンザワクチンは化血研製ではありませんので、あまり影響はありませんでした)。

しかし、完成した製品の安全性は国家検定で確かめられたものの、ここに来て調査の過程で、製法に基準に従っていない部分があることが発覚したとの情報が医療機関にも伝わってきました。

しかもその製法の不正を、ねつ造した報告書などで隠ぺいしていたという、医療の足元を震撼させるようなあるまじき事実があったようです。

かくいう私も二人の息子にこれらを含めたワクチンの接種をすでに済ませています。

すでに接種されたお子さんの親御さんも、医学的な心配は特に不要とは考えますが、「安全性は検定をクリアしているから大丈夫」とは気分的には単純にいきません。

日本中の医師が、怒り心頭、憤っています。

当クリニックとしては、このような情報がある以上、日本脳炎・B型ワクチンとも化血研のものを使用するのを一旦中止する方針としました。

日本脳炎に関しては何とか他社のワクチンを回してこれそうな見込みですので、ご予約スミの方はそのまま来院してください。

一方、B型肝炎ワクチンはしばらく供給が不能な状態に陥りそうです。

ワクチンは病気が来る前にできるだけ早く接種したいところですが、残念です。

 

化血研の調査はこれからさらに進み、強い非難を受けるでしょうが、ワクチンを最終的にお子さんに接種したのは私であり、もちろん責任の一端を担っています。

今後、接種を受けられたお子さんについて万が一何らかのフォローが必要になった場合にもしっかりと対応いたしますのでご安心ください。

 

医者という仕事その7 より良く生きるために

歩道を歩いている時はできるだけ車道から離れたところを歩くように心がける。

それだけで運転ミスの車の事故に巻き込まれる確率はずいぶん下がるでしょう。

しかしそれだけ注意していても居眠り暴走トラックに轢かれてしまう痛ましい事故は、ゼロではありません。

 

医学は目の前にいる患者さんが一番得する確率の高い選択肢を提示することを目標としています。

上の例で言えば、「外を歩くときは車道から離れたところを歩きましょう」というのが、適切な治療となるでしょう。

それでも救えない命があります。

ある予想外の事例が起こった時、医学はまず自らを省みます。

もしはっきりした原因があると判明した場合、それを改良しより良い治療方法を模索します。

逆に、その予想外の事例が例外的なまれなことであることが判明した場合、医学はその例外すらも救おうと新しい選択肢を生み出す努力をします。

だからと言ってそのまれな事例を理由に、恩恵をあずかっている他の方への治療自体をすぐに中止することはありません。

 

注意して車道から離れた歩道を歩いていた人がまれな事故に会ってしまった場合、やるべきことは①事故に会った人を全力で助けること、②車にブレーキアシストを搭載したり、歩道と車道に段差を作ったりしてもっと事故を減らす努力をすることです。

隣に住んでいる人がそんな事故に会ったと聞いて、「車道の真ん中を目隠しして歩いていたら事故に会わなかったのに残念でしたね。」と言う方はいないでしょうが、実はワクチン反対派、抗がん剤全て否定派というのはこのような思考回路の人たちと言えます。

医学は長い歴史の中で自らを振り返りつつ進歩してきましたが、身近な稀有な例を挙げて大勢に逆行する声の大きな人間というのはいつの時代にもいるものです。

いわゆる、「逆張り」をすると世間の注目を浴び、金銭的なバックも非常に大きいので(例えば一見常識外れなびっくりする題名をつけた本はすごく売れる ~牛乳は飲んではいけない~など)その方向に突き進んでいく動機は理解可能ですが、たくさんの善良な一般の方を車道の真ん中に歩くよう誘導するのを医者として見過ごす訳にはいきません(ワクチンはうつな、がんは治療するな、など)。

マスコミはしっかりとしたデータのある王道の意見をわざわざ拾い上げても盛り上がらないためか、「逆張り」の少数派の意見を取り上げて、あたかも賛成派と反対派の2大勢力があるかのような構図を作り上げる傾向があるように思います。

場合によっては極めて異端な意見を、迫害に負けずにがんばる風雲児に仕立てることまであります。

ワクチン反対派、抗がん剤を丸ごと否定する一派などはこのシステムに目を付けた最大の成功者であり、それに流される一般の方々は最大の被害者であると言えます。

インターネットは上手に使えばもちろん非常に有用なツールですが、怪しい意見やデータが我が物顔で上位に来るのはある意味で致命的な弱点と言えるでしょう。

パソコンが発達した現代、私は少しづつでも世の中が良くなるように、みんながより良く生きるために情報を発信し続けます。

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