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喘息とは その①症状

喘息は相当有名な疾患ではありますが、他のお母さんにしっかり説明できる方は中々いないと思います。

いつも通りこのブログでは難しい専門的なことはは置いといて、話をシンプルに進めたいと思います。

喘息とは、「ことあるごとに胸がゼーゼーしたり、呼吸が苦しくなりやすい体質」のことです。

口から吸った空気は気管⇒気管支⇒細気管支とだんだん細く枝分かれしていくストローのような通り道を通って、最終的にはごく小さい風船の集まりである肺へと到達します。

息を吸ったり吐いたりすることはこの風船を膨らませたり、縮ませたりすることの繰り返しの作業です。

喘息の体質のある人とは、色々なきっかけ(風邪をひいたり、激しい運動をしたりなど)からこの空気の通り道である気管支が一時的に狭くなってしまう人のことです。

①通り道が狭くなると呼吸がしづらくなるため、本人は息苦しさを感じます。

②また、聴診器を使うと調子のいい時には気管支をスー、スーと軽快に空気が通っていくのが聞こえますが、喘息が出ると狭いところを通る隙間風の要領でヒューヒュー、あるいはゼーゼーという音に変わります。

③風邪を契機とすることが多いので、通り道をふさぐ痰が発生しますが、気管支が狭窄するとこの痰を外に出す必要がより大きくなりますので、喘息のない人に比べて結果的に咳がひどくなります。

子育てその31 歯磨き

この前の日曜日に、次男(3歳半)の歯磨きを担当しました。

幼稚園年少さんの次男も滑舌はイマイチ、いやイマサンくらいではありますが、誰に似たのかとてもおしゃべりです。

歯磨きの最中もしぶきを飛ばしながら、必死にしゃべるので、なかなか作業がうまく進みません。

「てっちゃん、そんなにしゃべったら歯磨きできへんわー。」と率直にお伝えしたところ、やはり育ちがいいのでしょうか。

「わかった!おくち、ちゃっく!!」

としっかり口を固く閉ざし、おしゃべりをやめてくれました。

どっちにしても歯磨きできねぇじゃねえか・・・。

DHMO(dehydrogen monooxyde)

5月の第2週、週末にクリニックをお休みさせていただいて日本小児科学会に出席して参りました。

最新の知見、研究に触れ、また一層勉学に励む意欲が高まりました。

さて、最近注目の有毒物質であるDHMO(dehydrogen monoxyde)をご存知でしょうか。

一酸化二水素と訳されるこの物質の恐ろしいのは、知らぬ間に我々の日常に深く食い込んできているところです。

まだまだ解明されていないところもありますが、この物質の特徴としてはざっと以下の点が挙げられます。

・金属やアスファルトを浸食する、酸性雨の中の主成分である。

・生活習慣病を引き起こす食物の多くに含まれている。

・過剰に摂取することで血液の電解質のバランスを崩し、中毒症状を引き起こす可能性がある。

野放し状態であった物質のこのような毒性から、米国で法規制するべきかという議論にまで発展したのは当然の経過と言えるでしょう(日本ではまだ問題提起さえされていないのが現状です)。

一般市民のアンケートの結果では、50人中4人が「判断を保留」と回答したものの、実に45人が「法規制すべき」と回答しています。

 

 

 

 

「DHMO この物質は水である」と回答できたのはたったの1人でした。

 

これはいかに我々が科学などの権威やマスコミに誤った誘導をされるのかを示すために米国で実際にされた実験であります。

DHMO dehydrogen monooxyde 一酸化二水素とはH2O、言わずと知れた水であります。

もちろん冒頭の小児科学会ではDHMO=H2O=水の議題など挙がりませんでしたが、このブログを読んであたかも最新の学会でこの物質が取り上げられたかのように錯覚されませんでしたか?

 

ところで実は、医師であれば誰でも学会で発表をすることができます。

その内容がどれだけ荒唐無稽だとしても。

そしてあくの強いキャラクターの先生のむちゃくちゃな主張に限って強い発信力を持ってマスコミの流れに乗るというとんでもないことが日常的に起こっています。

真に質の高い研究、データというものは様々な角度からたくさんの分野の先生からの批判の目、再チェックに幾度も幾度もさらされ、その上で正当であるものだけがしっかりと教科書や歴史に刻まれ医学を動かしているのです。

そのような研究をされている先生方の奥ゆかしいこと、プレゼンテーションの控えめなこと。

これは医学だけでなく科学の世界全体に共通していることのようです。

えせ科学の発信力に負けないように、正しい科学を伝える術も学生教育に必要なことと私は思います。

 

 

 

とびひ(伝染性膿痂疹)

夏になると増えてくる皮膚疾患として「とびひ(伝染性膿痂疹)」が有名です。

皮膚には普段から雑菌がたくさんはびこっていますが、皮膚の調子がいい間は特に問題になりません。

しかし、汗疹、湿疹、擦り傷、手足口病の発疹などひとたび皮膚にトラブルが発生するとバリアが崩れ、雑菌が悪さを始めます。

さらにがりがり掻いたり、衣服で擦れたりしているうちに傷口にその雑菌がすり込まれることでだんだんとびひへと進化を遂げていきます。

じゅくじゅくして膿みが出たり、びらんになってしまったらとびひのスタートです。

一か所で細菌が増殖するとそこから掻くことを介してどんどんと他の傷口へと細菌が運ばれていきます。

まさに火事が飛び火していくようにみるみる広がるためにこの病名がついています。

 

このように全ての皮膚トラブルはとびひに進化する卵となりうるため、正しいケアが大切です。

第一に皮膚トラブルがある時は「お風呂の考え方」でお話ししたように、湯船には入らずにシャワーや流水でまめに洗うことを心がけましょう(とびひになる前も、なってしまってからも)。

湯船に入って温まるとかゆくなって掻いてしまうこと、湯船には雑菌が浮かんでいることがその理由です。

傷口への消毒は、水で流すことと有効性が変わらないばかりか、皮膚自体への障害もかなり強いことから最近は勧めない先生が主流のようです(先生によっては洗いにくい所は消毒するよう指導されることもあるようです)。

第二に皮膚トラブルは程度に応じてステロイドなどを適切に使い、とびひに進化する前に早めにかゆみや病変を抑えましょう。

第三に症状の強い皮膚トラブルやとびひ病変はがりがり掻かないようにゆったりとしたガーゼでなど覆いましょう。

小さいガーゼで傷口の近くにテープを張るとその部位がかぶれて、新たなとびひの温床となります。

大きめのもので、病変から遠い位置にテープがあるのがよいでしょう。

掻いて増悪しないためには爪を短く保つのもとても大切です。

 

治療としては、水でしっかり流すこと、抗生剤の軟膏や、症状の強い場合は抗生剤の内服です。

とびひに至ってからのステロイド軟こうに関しては賛否が分かれるところですが、ベースの皮膚トラブルの炎症やかゆみの強い場合には併用することが多いでしょう。

 

小さい子どもの場合、掻くと悪くなるのは分かっていても掻かせないようにするのは実際かなり難しいです(我が子での経験からも)。

とびひかな?と思ったらあまり様子を見ずに早めに皮膚科や小児科を受診しましょう。

お風呂の考え方

体を清潔にして、ゆったりリラックスもしてとお風呂は日本人にはなくてはならないものです。

旅先での温泉も格別なものがあります。

さて、お風呂の効能の裏には、実は様々な知っておくべき注意点がありますので順番にみていきましょう。

①熱すぎるお湯

湯温は38度~せいぜい40度くらいに留め、できれば脱衣所や廊下を温めて体が冷えない準備をする方がよいでしょう。

日本の家屋の構造上、温かい浴室から、冬場は寒い脱衣所や廊下を経由して部屋に戻ることが多いと思います(家に風呂釜がなかった時代は銭湯から家まで凍える屋外を移動して帰宅していたのでもっとシビアだったことでしょう)。

このため伝統的に「ちょっと我慢して肩までじっくり浸かって体の芯まで熱々になる」ことが入浴の目標になってきましたが、これは過度に行うと体には良くありません。

入浴中は汗をかいて脱水状態でしかも血管が拡張した状態ですから急に立ち上がったり、また寒い脱衣所に出たりすることで血圧が下がり脳虚血症状を起こすことがあります。

特に高齢の方では心肺への負担やふらついての転倒などが最近よく注目されています。

 

また、乾燥肌・湿疹の肌にも熱いお湯は禁物です。

これは熱いお湯に入ると皮膚の痒みが非常に増し、入浴中や入浴後にがりがり掻いてしまうことで大幅に肌が痛んでしまうためです。

ぬるめの温度を心がけましょう。

同様の理由で温まるとひどくなる蕁麻疹が出ている際も湯船にゆっくりつかるのは避けましょう。

②傷口への影響

様々な皮膚のトラブルがある場合も湯船に浸かるのは避けるべきです。

肌は調子がいい時はバリアとして機能していますが、皮膚にトラブルが起こると局所的にそのバリアが破たんした状態となります。

例えば、水痘・手足口病・とびひなど発疹がある時や、けがをして傷口がある時などが挙げられます。

どこの御家庭でも湯船にはばい菌がうようよ浮遊しており、傷口に悪影響を及ぼす可能性があります。

また温まると痒みが出て掻いてしまうのも避けるべきもう一つの理由です。

③発熱への影響

近年は風邪の際など、少々熱があっても元気であればさっと入浴するのを厳しく制限する必要がないという考え方が主流になっています。

のぼせたり、湯冷めしたりしないように気をつければ病気自体への悪影響は医学的にはあまりないようです。

ただし入浴はそれなりに体力を使う作業ではあるので、高熱であったりしんどそうな時はシャワーに留めるか、入浴はやめて濡れタオルで拭いてあげるなどの対応の方が本人も楽かと思います。

年少児では溺水予防の観点から普段の入浴中でも目を離さないのが大原則ですが、熱の際に痙攣を起こすこともありますので、いつもよりさらに注意して見守るようにしましょう。

どうでもいいことその18 検証

毎日何の気なしにしている行動を振り返り、検証してみる。

科学や医学の発展というのはかくの如く地道な作業の積み重ねである。

 

ぬぎぬぎ。

がちゃっ。

ばしゃばしゃ。

どぷーん。

ちゃぷちゃぷ。

ふぅー。

 

がちゃっ。

ふきふき。

上から取って、と。

はきはき。

 

うむ。間違いない。

うすうす気づいてたけど。

いつも上からばっかり取ってるから、2枚のパンツを交互にヘビーローテーションし続けているようだ。

りんご病(伝染性紅斑)

この1年ほどは数年ぶりの大流行となりました。

書こう書こうと思いながら、書きそびれていましたが、本日長男(7歳)がきれいに発症いたしましたので我が家の子育て日記の1ページの意味も含めてここに記します。

風邪と同じくウイルスの感染症としてうつる病気ですが、小児の症状で特徴的なのは両頬・両手・両足の赤み程度です。

お腹や背中にも出ることもあります。

赤みはレース状とか、平手打ち様(ぱちーんと叩いた後のような発赤)と呼ばれ、痒みを訴えることがよくあります。

子どもでは発熱やしんどさはなく、赤みと痒み以外は元気一杯です。

両頬の赤みがまるでりんごのように見えるので、俗に「りんご病」と言われます。

痒み止め以外の治療は不要で、数日で自然によくなります。

実は症状がはっきりした時にはもう完全に感染力がゼロになっていますので、登園や登校の妨げになることは全くありません。

むしろ発症の1週間ほど前に最も感染力が強くなりますが、本人からすれば全く自覚症状がないまま人にふりまいているということになります(ある意味仕方のないことです)。

潜伏期間は2週間程度ですので、兄弟などでは差し引き結局1週間程度で症状がうつっていくように見えます(お兄ちゃんの顔が赤くなった後、1週間前後で下の子の顔が赤くなる)。

このように子どもにとっては医学的な心配は皆無といっていいお気楽なウイルス感染症ですが、免疫のない大人が感染すると高熱や、長引く関節痛を伴うことがあります。

女性の方の場合、関節痛や指のむくみの症状のせいでリウマチかもと整形外科を受診することもあると聞きます。

一番やっかいなのは免疫のない妊婦さんが感染した場合です。

胎児水腫と言って、お腹の中の赤ちゃんに全身のむくみや心不全症状を起こすことがあります。

妊娠の初期が特に要注意です。

家族内にりんご病を発症した子どもがいる場合、学校や幼稚園・保育園など小児の集団生活には制限は不要ですが、病院のお見舞いや、公共のプール・入浴施設などはマナー的にもビジュアル的にもトラブルの種になるかもしれませんので避ける方がよいでしょう。

また、発症してない兄弟が一番感染力が強い可能性が高い訳ですから2週間ほどは妊婦さんとの接触は控えてください。

 

なお比較的強い痒みが出てもだえている我が子に、今日は妻も同情の目を向けて色々お世話をしていました(もう小学生だろお前)。

そんな最中に長男がなかなかの強烈なおならをしたあげく、「りんご病のせいやから。」と意味不明な供述をしたせいで、とうとう妻はキッチンへと去っていきました。

家族・実家のことその17 追憶③ ~阪神淡路大震災 伝えたいこと~

自分語りのようになってしまったけれど、私が伝えたいこと。

神様を信じる事は、自信や心の救いを与えてくれるかもしれない。

でも最後の最後、本当に人を救えるのは人であると私は思う。

震災直後にがれきに埋もれ、身動きの取れないまま火の手が迫る中、閉じ込められた命を外に引きずり出したのは近所の人たちのその両手であったということ。

自分たちも被災し、中には家族を失った中で活動して下さった消防隊や自衛隊、医療者などの方々が、たくさんの命を救い物資を届け、被災者を勇気づけたということ。

大自然には勝てないけれど、でも人間は負けないということ。

そしてもうひとつ、人は死ぬということ。

 

中学生になり布団で寝るようになった私が、小さい頃に使っていて屋根裏部屋に解体して置いてあったベッドをふと気まぐれに組み立てて寝るようになったのは震災のほんのしばらく前だったと記憶している。

私はあの大震災をほんの偶然の差から生き残り、そして小児科医として、これからの命を救う使命を負った。

家族・実家のことその16 追憶② ~阪神淡路大震災1月18日~

一夜明けても町は一向に動き出す様子を見せませんでした。

当然電気とともに水道も止まっており、トイレも流すことができない状態が続いていました。

コンビニや店にある食べ物が善意で配られ、寒さに震えながらみなが憔悴しきった様子でなんとか喉に詰め込んでいるような状態だったと思います。

とてつもない天変地異が起きたことを認めざるを得ない24時間を過ごし、長兄と母は相談して、大阪府吹田市に住む母の妹の家を目指す決断を下しました。

阪急岡本駅にほど近い我が家から線路に沿って東へ大阪を目指す。

日本全体が同様に壊滅しているかも。

いとこのところも同じ状況かも。

きっと4人とも同じことを考えていたけれど、口にするとそれが現実になってしまいそうで、黙々と歩き続けました。

だんだん日が暮れて電灯の光もない真っ暗な道を歩きました。

崩壊した家々のがれきのせいで迂回もしながら。

3駅歩いて、西宮駅が近づいて来ると、徐々に明かりがともり始めました。

そこから東は電車が動いていて、スーツ姿のサラリーマンもいたり、まるで今までの日常のような様子にびっくりしました。

吹田のいとこ宅に夜に到着してから、母とおばはひとしきり泣いて再会を喜んだあと温かいご飯や、お風呂を頂き、泥のように眠りました。

 

家族・実家のことその15 追憶① ~阪神淡路大震災1月17日~

私は中学校2年生の冬に、最も震度の強かった地域の一つである神戸市東灘区の実家で被災しました。

2階の自分の部屋で就寝中にドーンと下から突き上げられたような衝撃があり、その後強く揺さぶられて目を覚ましました。

何が起こったか分からず、茫然としていると、隣の部屋にいる長兄からの「大丈夫か?」という問いかけがあり、とりあえず、「うん。」と応えたのを今でも覚えています。

停電のため暗闇の中でしたが、室内がめちゃくちゃになっているのが何となく分かりました。

足の裏に気をつけて、部屋を出て長兄と合流し、1階にそろそろと降りると、こたつでそのままうたたねしてしまっていた母と次兄も起き出してきていました(父は静岡に単身赴任中)。

この時、揺れからまだ10分前後だったでしょうか、このタイミングではおそらく阪神地域の誰も何が起こったのかは分からない状況で、外はやけに静かだったように思います(地域にもよるかも)。

その後、外に出てだんだん明るくなってから見た光景は、空襲を受けたかのような変わり果てた町でした。

電信柱が折れ、アスファルトの地面にはいくつもの亀裂が走り、また多くの家屋が倒壊していました。

この震災の特徴であった、1階部分が押しつぶされているというアパートやマンションもたくさんありました。

助けを求める声が何か所かからあり、無事だった大人が手分けして救助を試み始めました。

我が家は有難いことに倒壊を免れましたが、明るくなってからみた家の中はひどい有様でした。

壁際に置いたピアノは部屋の中央まで移動し、テレビ(当時はまだ結構重量もある大きいものでした)は窓をつきやぶって庭に転がっていました。

布団ではなく柵のあるベッドで寝ていたため、私の頭を押しつぶしていただろう重量のある棚が数10㎝ほど上で止まっていました。

長兄の布団の足元には直撃を避けるかのようになぜか斜めに倒れてくれている本棚がありました。

次兄と母の寝ていたこたつの天板の上には粉々に割れた大量の皿とともにのしかかった重厚な食器棚がありました。

あの日、たくさんの場所でこのような小さな偶然が生死を分けました。

 

何も情報のないままあっと言う間に1日が過ぎ、近くの小学校に避難しました。

小学校のすぐそばの家が火事になり煙がもうもうと立ち上がっているのに、いつまでたってもどこからも消防車のサイレンが聞こえてこないという異様な光景は、日本全体、いや地球全体が滅亡の危機に瀕しているのではないかという恐怖を感じさせました。

ろうそくの薄暗い明りの中、幾度とない余震に教室でぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝していたみながほとんど眠れない初日の夜を過ごしたと思います。