比較的よくあるお母さん方の疑問の一つに、耳掃除についてがあります。
耳垢は自然と外へ排出されることが多いため、原則耳掃除は不要です。
耳掃除で逆に耳垢を奥に押し込んでしまうこと、外耳道や鼓膜を傷つける危険性があることから平成29年にアメリカの耳鼻科学会から改めて耳掃除をしないようにとの勧告が出されました。
我々小児科医の立場からすると、中耳炎になっていないかをチェックする際に耳垢が多いとお手上げになってしまうのですが、その際は耳鼻科を受診するようお伝えしています。
比較的よくあるお母さん方の疑問の一つに、耳掃除についてがあります。
耳垢は自然と外へ排出されることが多いため、原則耳掃除は不要です。
耳掃除で逆に耳垢を奥に押し込んでしまうこと、外耳道や鼓膜を傷つける危険性があることから平成29年にアメリカの耳鼻科学会から改めて耳掃除をしないようにとの勧告が出されました。
我々小児科医の立場からすると、中耳炎になっていないかをチェックする際に耳垢が多いとお手上げになってしまうのですが、その際は耳鼻科を受診するようお伝えしています。
大学のバレーボール部時代、後輩のマネージャーとして、はるちゃんという女の子が入ってくれました。
はるちゃんは大分出身で、今時都会では見つけられないような超が付くほど純粋な子でした(何かおっさんくさい表現だな)。
大阪に来たてのはるちゃんは、こちらが冗談で言ったことも本気で全て信じてしまう子で、それがおかしくてよくみんなで色んな嘘を吹き込んだりしていました。
「大阪って、やっぱりみんな歩くのも早いし、いつも急いでますよね。」と言うので、「だからな、大阪のエレベータあるやろ、あれ、行きたい階のボタン連打したら早く進むからな。大阪人はほんませっかちやから。」
と誰でも分かる大嘘を言って、言ったことも忘れていたら、数か月後にプリプリ怒ったはるちゃんに、いかに恥をかいたかを抗議されました。
はるちゃんも大阪に来て10年以上がたちます。
最近しばらく会っていませんが、しっかり大阪のおばちゃんになっていることと思います。
ちなみに私は小さい頃、「木が2本で林、木が3本で森、そして、木が4本でジャングルやからな。」と誰か(たぶん真ん中の兄)に教えられしばらく信じていた記憶があります。
小さい頃は私もとても純粋だったのです。
以前に「いった」と「おこなった」が同じ「行った」で、「つらい」と「からい」が同じ「辛い」でややこしい、ということを書きました。
もう一つ、漢字関連のことでずっと不思議に思っていることがあります。
豆腐と納豆。
「型に納めて作る」のに豆腐。
「豆を腐らせて作る」のに納豆。
この二つ、どう考えても逆に思えてしょうがないのですが。
それから、娘と好。
「女の子」なのに娘。
「良い女だからこそすき」なはずなのに好。
この二つも逆としか思えない。
一体なぜこんなことになっているのか。
事情を知っている方、情報待ってます。
そのうち、そのうち、と思っていると予防接種は遅れがちになるものです。
予防接種はとにかく後回しにしないことが肝心です。
スタンプラリーのように、何歳までにここまで終わらせたらOKというものではありません。
深刻な病気は容赦なく襲いかかってきますから、接種できる時にできるだけ早くどんどんと進めるのがよいでしょう。
昭和の時代には、「風邪をひいていたら接種は無理無理!」というのが日本での常識であり、風邪のせいで予防接種を受けられなかった子どもが、麻疹にかかって死亡するという本末転倒な痛ましいことも実際に起こっていました。
たくさんの予防接種を同時に行っても、使われる免疫は体全体の0.1%未満(つまり1000分の1未満)と言われます。
少々の咳や鼻水、軽い下痢程度であれば、予防接種にはほとんど問題がないと言ってもよいでしょう。
特に保育園児などは体調が万全になる時を待っていると、いつになるのやらですから、少し症状があっても接種する先生の判断でOKが出たらしっかり接種を進めていきましょう。
またどの病院で接種しても絶対に効果は変わりません。
「この病院で接種できるまで、何か月でも待つわ♥♥」というお母さんの熱意はちょっと横に置いておいて、枠が空いている病院を探して今すぐにでも接種することがとても大切です。
待っている数か月の間も病気は待ってくれませんから。
たくさんの人々の命を奪った天然痘という病気は予防接種の普及により、地球から排除されました。
たくさんの子ども達に小児麻痺をもたらしたポリオの予防接種を(当時は危険なワクチンと言われていた)ソ連から緊急輸入した、昭和の時代の時の厚生大臣の英断から始まった一連の対策で、現在日本でのポリオは根絶された状態です。(まだ地球から排除には至っていませんが)
これらはごく最近の話です。
毎年何百人もの子供たちを毒牙にかけてきた髄膜炎の予防接種が公費で接種できるようになったのは、さらにたった数年前の話です。
今の時代を生きる我々は予防接種の進歩のおかげで、実にたくさんの理不尽な死や病気から遠ざかっていることを、皆さんにもっと知って欲しいと願っています。
これだけ医学が進歩したとはいえ、まだまだどうしようもない病気がたくさん存在するこの世の中。
医者としての無力感を味わうことも決して少なくない毎日ですが、せめて予防接種で防げる病気で苦しむ子ども達が一人もいなくなりますように。
予防接種を受けるに当たり、二つの選択肢があります。
地道に一つづつ単独接種でいくか、一気に同時接種でいくか。
では、それぞれのメリットを見ていくこととしましょう。
☆同時接種で進めていくメリット
(1)接種した日から全てのワクチンの反応が体の中でスタートする。
(2)予防接種のために病院を受診する回数が激減する。
(風邪などをもらう確率が大幅に減少する)
(3)子ども達の精神的な負担はトータルで考えると少なくなる。
(毎週予防接種のために病院に通うよりは、数分のうちに一気に済まして
しまう方が実は子どもにも優しい)
(4)子ども達は色々な病気で体調を崩し、接種ができなくなることがあり、できる
時にどんどんと進めることで深刻な病気の心配を減らすことができる。
(5)受診の回数自体が減るので、接種をし忘れる心配が減る。
☆単独接種で進めていくメリット
実は全くありません。
上記の同時接種のメリットの逆がそのままデメリットとなって降りかかります。
大規模な研究で、人種を問わずたくさんの予防接種を同時に行うことで効果が弱くなったり、熱や腫れなどの副反応がtotalとして増えたりすることはないことが実証されています。
欧米各国でも当然予防接種は同時接種でサクサクと行われています。
また、これらの国では予防接種を受けることは各自が享受できる「権利」であるだけでなく、親や医療者の「義務」であるという考え方も強く、見習うべき点と思います。
米国では、規定の予防接種を完了していない子どもは小学校に入学することもできません(例外的に宗教上の理由などでの接種拒否は認められているようです)。
麻疹や水痘は本当にまれな病気である、というのはうらやましい限りです。
単独接種は同時接種に比べて本人にメリットがないばかりか、限られた接種枠をいたずらに浪費して、他の子ども達の接種の機会を奪ってしまうという観点からも、特に重要な予防接種が目白押しな1歳未満での単独接種は当クリニックではお受けしておりません。
医学的なデータとは別に、「何となく怖いから。」という親御さんの気持ちは尊重しますが、その場合は他院での接種をお願いしています。
私のクリニックのマスコットキャラクターは、皆さんご存知のあのクマさんです。
メガネをかけて白衣を着たクマさん。
時々初めて来るお母さんから、「クマのようなひげもじゃの大男の先生か出てくるのかと思っていました。」と言われたりします。
由来は、結婚前に妻が働いていた子供服のファミリアのキャラクターのクマさんです。
最初は聴診器を耳につけているデザインだったのですが、頭の横、つまり人間の耳の位置に付けると突っ込みどころ満載で何ともまぬけで、かと言って頭の上、クマの耳の位置まで聴診器を伸ばすと非常に不格好でありました。(聴診器がまるであごが外れた人の包帯みたいでした。)
結局首にかけるスタイルに落ち着きました。
自信満々に掲げたクマさんを見て、大学時代からの友人からのコメント。
「ズボンはき忘れてるで。」
いや、意識してそうした訳ではないんですが、言われてみると確かに。
次男(1歳4か月)のつむじは1つですが、長男(5歳)にはつむじが2つあります。
右回りと左回りのきれいな渦巻きが2つ。
日本毛髪科学協会が監修した小冊子「頭髪に関するQ&A100」(第一製薬)によると、
「日本人は、およそ90%の人がつむじは1個。2個ある人が7%で、3個以上も3%いるという統計がある。多いと7個ある人もいる。」とのこと。
つむじが多いと気難しい、知能が高い、ハゲやすいなどいろんないわれがあるようですが、興味本位で私が検索した範囲内ではそれを裏付けるデータや論文ははっきりとは見つかりませんでした。
あくまで迷信という感じでしょうか。
ことわざでは「つむじを曲げる」という表現が有名ですが、ささいなことですぐふてくされる長男のつむじは2つある割には非常に簡単に曲がるようです。
昨日は、監督の結婚式でした。
遡ること1年弱前、結婚の報告とともに、私に二次会の司会をよろしく頼むと言ってくれました.
結婚式での二人は本当に輝いていました。
純粋な奴だとは知っていましたが、感極まって男泣きをしているのを見て、こちらも目頭が熱くなりました。
二次会の司会も、ベストを尽くすことができたと思っています。
素敵な二人、素敵な式でした。
幸せにな、監督。
次男(1歳4か月)はお風呂が大好き。
長男は幼稚園から帰宅後、すぐに妻とお風呂に入って早くに寝れる態勢を整えていますが、次男の方は夜、早目に家に帰れた日は私がお風呂に入れてあげてスキンシップを図っております。
自分の体を洗った後、浴室の中から呼び出し音を鳴らすと妻が裸の次男を連れてきてくれます。
最近は「ピーピーピー」という呼び出し音を聞くと、鼻息荒く自分で服を脱いで準備ができるようになりました。
先日、そんな次男とのお風呂を終えた後、夜の時間をお酒を一杯やりながら満喫しようとソファーに座りました。
ふー、と一息ついてお酒を口に含み、ふと横を見ると突然またすっぽんぽんになった次男を発見して、あやうく盛大に吹き出しそうになりました。
お酒をカンするための電子レンジの「ピーピーピー」に反応して脱いだのだと気づくのに数分。
合点がいった瞬間に、完全に吹き出しました。
音を聞くと脱がなければ、というのが完全に条件反射になっているようで、これはある意味かなりキケンです。
子育てほど大変で、子育てほど幸せを与えてくれるものを私は他に知りません。
日々の診療をやっていますと、「小児科の先生は子育てにおいて悩みがなくてうらやましい。」と錯覚しているお母さん方が結構いらっしゃるように感じます。
そんな、ま・さ・か。
なぜ朝のくそ忙しい時に限って新しいアホな遊びを思いつくのか。
なぜ楽しみにしている旅行の前夜に、狙ったように熱を出すのか。
なぜ絶対にダメと言ったことを自分の使命かのように何度もやろうとするのか。
自分が小児科医と親の両方の立場を同時に演じる時、「理想と現実」というものを強く感じます。
小児科医としては、「こうするのがbestですよ。」とえらそうに話しながら、「おいおいお前が言うなよ。」とつっこみを入れている親としての自分がいます。
子育て本には、「いらいらは禁物ですよ。」と書いてあるけれど、正直毎日めっちゃ腹立つ!
そんな自分は親として失格なのだろうか、と思うこともしばしばあります。
当たり前ですが、私も妻とともに毎日皆さんと同じように子育てに奮闘しています。
あくまで理想は理想。
長男が生後5か月になった時、離乳食の本を買いましたが、本通りにやってもあまりにも食べてくれないため、数か月後にはゴミ箱へサヨウナラしました。(体重の伸びや、母乳だけの児で問題になりやすい貧血は気にしていましたが。)
そんな長男も5歳になり、食費は今や家計を圧迫しつつあります。
悩みに答える役割の小児科医としてはもちろん理想を提示することは大事です。
一方でそこそこできていたら親としての役割は十分果たしている、と自信を持ちながら子育てをすることって結構大事と私は開き直っています。
例えば、「ファーストフードは子どもには毒。」というのは度が過ぎれば事実かもしれませんが、ひと月やふた月に1回あげたからって正直どーっちゅうことはありません。
横で常に気にしすぎている親が見張っている方が、子どもにとってはずっとマイナスなように思います。
病院や子育て本で見聞きする理想と、可能な範囲の現実とほどほどにバランスを取れればいいのだけれど。
「理想の子育ての話」がお母さん達を追い詰めることがないように、ひとつひとつ言葉を選んでお話しをしなければと今日も思うのであります。