カテゴリー別:日記

リフォーム(5)

4か月かかった改修工事が終わり、5月10日から新装診療所で診療しています。「明るく、きれいになりましたね」と患者さんから好評です。

自慢の玄関

 

待合室の椅子も変えました。玄関には殺菌灯付きスリッパロッカーを設置しました。

 

処置室も広くなりました。

 

会議・面談室を作り、栄養指導なども行いやすくなりました。

 

第二待合室。患者さんが混んだ時に使います。

 

第二診察室。発熱患者さんは別の入り口から入って頂き、ここで診察します。

 

肝心の主診察室。クロスを変えて明るくしました。

 

器はきれいになりました。これから中身も充実させたいと思います。

 

 

4か月かかったリフォームが終わりました。

今回のリフォームのポイントである段差の解消は、このとおり玄関スロープで解決してもらいました。庇も伸びたので雨が降っても濡れにくいです。

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配管工事のため南側の生垣は引退して頂き、新しいのを植えました。

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発熱患者さん用の第二診察室への入り口には昇降機を設置しました。

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トイレも大幅に回収して洗面台と別にしました。

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倉庫も収納力たっぷり。柱がぽつんと残っているのはリフォームならではの光景です。

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倉庫室の廊下側の窓だけ以前のものを残してもらいました。患者さんの目にはあまり触れないところですが、昭和感に浸れます。

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まだ引っ越し作業がありますが、診療所部分の内装、外構は出来上がりました。

 

 

5月9日(火)まで休診し、10日(水)の再開に向けてこれから引っ越し作業に専心します。

 

リフォーム(3)

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リフォーム工事が始まって一か月半ほど経過しました。

スケルトン状態から、床が張られ、壁もできつつあります。

窓はサッシが入って面格子も変わり、今までの昭和的な感じから現代的な雰囲気になってきました。

床、壁、天井には断熱材が付けられ、快適な診療所になりそうです。

 

 

 

リフォーム(2)

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本年1月11日からいよいよ医院改修工事(リフォーム)が始まりました。まず残置物廃棄と解体作業が行われています。写真のように床と内部の壁が撤去され、スケルトン状態になっています。毎日見ていますが、「家ってこんなになってるのか」と驚いています。柱と天井は大部分残しますが、リフォームとはいえここまで解体すると「同じ間取りの新築」のような感じです。

もちろん工務店さん、設計士さんとは何度も打ち合わせて完成形は図面で確認していますが、これから実際にどのように出来上がってゆくのか楽しみです。

医院改修工事(リフォーム)

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患者さんには11月からお知らせしていましたが、新年1月11日から医院の改修工事(リフォーム)をすることになりました。

耐震補強、段差の解消、老朽部の補修、レントゲン室・第二診察室・第二待合室・面談室・トイレの整備などを行います。

5年前に同様の大規模リフォームを考え、業者さんに計画を依頼して見積もりまで出してもらいましたが、色々あって頓挫しました。

以後機会を待っていましたが、一年前にある工務店さんとご縁が出来、設計をしてもらってこの度契約に至り、念願のリフォームができることになりました。工事は4か月かかるため自宅を診療所に改装して診療を続けます。写真は自宅診療所の受付と処置室です。

リフォームでは間取りはそれほど大きく変わりませんが、細かいところが今風になるので楽しみです。

 

山奥のレコードコレクション

後者

コレクション

ステレオ

 

今月もカレンダー用写真撮影のため九度山方面へ向かいました。

今回は「くどやま森の童話館」に行ってみました。

ここは九度山町教育委員会の管理で、休校になった小学校の校舎を利用して絵本、童話、高野山関連の本を展示しています。

驚いたのは校舎の隣の離れにクラシックレコードのコレクションがあることです。長野県のある医師が生前に寄贈されたそうですが、1000枚余りあり、クラシックファンなら泣いて喜びそうなレコードがあふれていました。

ステレオもあって自由に聴くことができ、たまたま置かれていたチェロソナタを聴いてみましたがとてもいい音でした。

場所は九度山の街からさらに車で半時間ほどのなかなかの山奥です。管理の方も初めは「レコードを聴くのは今年初めてです。動くかな、、、」と言っておられました。

この素晴らしいレコードコレクションは色々な縁でこの山奥にやってきた訳で、そのことに意味があるのでしょう。しかしもう少し多くの人に聴いてもらえるしくみがあればなと思いました。

キイジョウロウホトトギス

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カレンダーのための写真を撮りに九度山へ行ってきました。今回の目的は上の写真の「キイジョウロウホトトギス」です。

今年7月に慈尊院の紙遊園という紙漉きを初体験しましたが、そこでこの花を栽培しておられるとお聞きしたので開花時期を何度も確認して伺いました。この花は紀伊半島南部の固有種で、自生していますが採集されることが多く、絶滅危惧種と認定されています。

「ジョウロウ」は漢字で「上臈」で貴婦人という意味です。夏の直射日光が当たると葉焼けして枯れてしまう繊細な花です。花は釣り鐘型で下を向いており、優雅で奥ゆかしい感じは名前の由来通りだなと思いました。

 

かつての野菜

 10年ほど前、自宅の庭で白菜を栽培しようとしたことがあります。冬に自分で鍋をするようになり、採れたての白菜を鍋に入れればさぞ美味いだろうという目論見がありました。しかし苗を買って植えてみて育ってくると色々な虫にやられて葉がボロボロになりました。そこで毎夜診療が終わってから葉についている小さな虫をペンライトで照らして取り除くことを繰り返しました。そうして何とか葉がさほど食べられずに残った株を収穫して食べようと思い、キッチンの流しで一枚づつはがして洗っていったら最後の一枚をはがすとナメクジが居座っていてびっくりしました。

 さすがにこの白菜の株は食べずに捨てました。そこですぐに思い浮かんだのは「ビニールハウスや農薬などがない時代はどうやって野菜を栽培していたのか?」という疑問です。例えば江戸時代の野菜はどうなっていたんでしょうか?

 こんなことを本格的に調べだすとそれだけで大研究になりますが、近代以前の人々の日常の食事には以前から興味があったので少し本をのぞいてみました。

 その名も「江戸の食生活(原田信男著、岩波現代文庫)」という本があります。この中で化政期(1804-1830)の地誌類の記述が紹介されていて、江戸に出荷する野菜としては大根、茄子、唐辛子、茗荷、小松菜、冬瓜、ごぼう、蕪、芋、ねぎ、三つ葉、くわい、蓮、菜物、人参が挙げられていました。ただ「菜物」がどんな種類なのかはわからずじまいでした。

 また「下級武士の食日記(青木直己著、筑摩書房)」という本では紀州藩の下級武士が江戸へ単身赴任した時の食事や日常生活が紹介されています。この中で日記を分析した論文の表が引用されていて、本人の家計簿でどんな野菜が何回登場するか表記されています。結果としては野菜類73回購入の内、トップ3は茄子22回、大根9回、ねぎ5回であり、その他は菜、豆、瓜、ごぼう、ほうれん草、などが並んでいました。

 私が痛い目にあった白菜について調べると、原産地は中国で、日本で栽培に成功したのは大正時代、主要野菜となったのは昭和初期ということでした。ほうれん草は江戸時代に中国から渡来しましたが、日本で普及したのは白菜と同じ時期ということです。逆に小松菜は江戸時代に現在の江戸川区小松川付近で栽培され始めたことが名前の由来で、同時代から広まっていたようです。茄子やねぎは奈良時代から食されてきたらしいです。

 「粗食のすすめ」の著者幕内秀夫氏が書いた短い食事に関するエッセイで、東京の神田市場で大正15年から約70年間青果の仲卸業をしていたという人物の話として、「市場で働きだした当時は、ねぎと大根の2つだけあれば八百屋ができたんですよ」というエピソードが書かれていました。

 茄子やねぎは虫の心配が少なく、栽培は比較的容易です。あくまで自分の調べた範囲ですが、かつて日本人は野菜としてはこの2種類や大根、人参、ごぼう等の根菜を多く食べていたのだと思います。比較的新しい白菜やほうれん草をことさらに問題視するつもりはないですが、古参の野菜も見直したいと思ます。

鬼の舞

 

 

お盆休み最終日の8月16日に九度山町の椎出(しいで)地区にある椎出厳嶋神社の「鬼の舞」という神事を見に行って来ました。毎年8月16日に行われ、コロナ禍のため今年は3年ぶりの開催だそうです。

最寄りの南海高野線高野下駅構内の案内板に書かれている内容を見ると、この神事は南北朝時代に後醍醐天皇の従者が住み着いて伝えたとされています。神事に参加する十人衆は半月前から水垢離(みずごり)をして備え、当日は紀ノ川で身を清め、それぞれが白い石を3個拾って神前に供えます。クライマックスでは棒を持った赤い髪の鬼が境内で悪疫払い、五穀豊穣、雨乞いを祈願するために踊ります。さらに見に来ている子供を怖がらせて泣かせます。よく泣いた子は元気に育つと言われています。

山里の小さな神事ですが、小太鼓の音が響き、何百年も綿々と続けられていることを思うと何とも神秘的な感じでした。鬼の踊りもちゃんと決まった振り付けがあるようで、見ごたえがありました。

 

最近は時々、和歌山の九度山町に撮影に訪れています。

この町の慈尊院というお寺に隣接して紀州髙野紙伝承体験資料館「紙遊苑」という施設があり、初めて紙漉きをしてみました。

弘法大師空海はがこの地に手漉き和紙の技術を伝えたそうですが、紀州高野紙(古沢紙)と呼ばれ、西洋紙が使われるようになるまで盛んに生産されたそうです。

西洋紙と違って木の繊維の絡みだけで維持されているため丈夫で長持ち(千年持つという説明でした!)するらしいです。

楮(こうぞ)という木の皮を剝いで線維成分を抽出し、トロミ成分を加えてドロドロにし、専用の木枠に入れて漉く、という作業ですが、全行程はすごく手間が掛かります。今回は体験コースだったので漉く工程だけで、全体の50分の1位ですよと担当の方に言われました。

出来上がったのを乾燥後、郵送してもらいました。なにしろ初めてなので紙というより画用紙のような厚みになっていましたが、さてここに何を書こうか思案中です。

楮の木です。

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線維がトロミ状になった状態。これを専用の木枠ですくい上げます。

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水を切る。

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板に貼って乾燥させます。

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届いた紙。

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